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ヒトの進化

ここではヒトの進化について考えてみたいと思う。
数千年、数万年後のヒトのどのようになっているのであろうか?
いろいろな噂があるが、ここではできるだけ生物学的に正しくなるように考察してみたい。

まず、「進化」の定義であるが、これは生物種の集団において遺伝子が変化することとするのが一般的である。
遺伝子の変化を伴う変化は「進化」と呼ぶが、遺伝子の変化を伴わない変化は「進化」とは呼ばない。
例えば、生まれつき肌が黒くて紫外線に強くなったというのは進化だが、日焼けして紫外線に強くなったというのは進化ではない。
同様に、高山で生活していたら、赤血球の量が増えて低酸素条件に強くなったなどというのも進化とは呼ばない。
「生まれつき〜」というのが進化の特徴であって、環境による変化は「適応」と呼ばれて区別される。

進化が起こるには、まず遺伝子が変化し、それが種全体へと定着する(広まる)必要がある。
遺伝子の変化は、有性生殖やDNA複製のミス、ウイルス感染などによって引き起こされる。
こういった遺伝子の変化は、そこそこの頻度で起こるものである。
とはいっても、大抵の遺伝子の変化は、生物そのもののを大きく変えるわけではないので、見かけ上はわずかに変化するだけのことが多い。
一方で、変化の定着は、自然淘汰(強いものが生き残るメカニズム)によって、生物が選択されることによって引き起こされる。
より優秀な遺伝子を持った個体のみが生き残って、子孫を残すことにより、その優秀な遺伝子が種全体へと定着するというわけである。
自然淘汰そのものは、その名の通り自然界からの選択なので、環境が変われば生き残れる生物も変わってくる。
これによって、より環境に適した生物へと変化するというわけである。
こうして、遺伝子変化の定着が繰り返されることによって、生物種は大きく変化していくのである。

ヒトの進化に関する噂として、ヒトは頭を使うから頭が大きくなるだとか、硬いものを食べないから顎が小さくなるだとかそういったものがあるが、これらの考えは、少し考えればすぐに間違いであることが分かる。
頭を使ったかどうかという情報そのものは、子に引き継がれるものではないので、そういったものは進化の対象にはならない。
「〜を使うから進化する」あるいは「〜を使わないから退化(進化の逆の意味での退化)する」というのはありえないのである。
洞窟などの暗闇に住む生物の多くでは目が機能していないが、これは、目の機能が生後に発達するということによるものであることが多い。
一般的に、目(というか神経系一般)は、生後の環境に応じて発達するため、このようなことが起こる。
猫を生まれてからずっと縦縞の部屋で飼うと横縞は見えなくなるという話もある。
ただ、これらはあくまで環境による生後の変化(適応に近いもの?)なので、生物学的な進化とは区別されなくてはならない。
あくまで、選択が起こったときに進化は起こるのである。
なお、生後の変化という意味でも、ヒトが今以上に激しく頭を使うということはないと思うので、頭はそれほど発達しないと思われる。

ヒトの場合は、遺伝子の変化そのものは上に挙げたような形で起こっているが、自然淘汰というものがほとんどない。
それゆえに、変化が定着せず、ヒトはもうほとんど進化することはないと思われる。
誰もが平等に生きる権利を持つという仕組みが、皮肉にもヒトの進化を妨げている(もちろん平等の仕組みそのものは素晴らしいと思うが)。
本来、障害を持った生物というのは、自然界では生きていけずに排除される。
これによって、有害な遺伝子は除かれ、優れた遺伝子が残っていく。
しかし、人間社会(特に先進国)では、障害を持ったヒトでも平等に子孫を残せるため、障害に関係するような遺伝子も残ることになる。
このような障害の遺伝子が残るという傾向は、医療の進歩によってさらに強まる。
例えば、不妊体質というのはその性質上、自然に淘汰されてきたわけだが、それも今ではだんだん治療可能になり、淘汰されなくなりつつある。
一方で、特に優秀な性質が残りやすいというわけでもない。
先程の頭の良さというのを考えても、頭の良い人が特に子孫を多く残せるということはなく、むしろ高学歴のヒトほど晩婚になって子を作らないと考えるならば、頭の良さはやや退化傾向に向かうといえるだろう(高学歴ならば頭が良いとも言い切れないが)。
このように全体的に見ていくと、ヒトは進化が止まっているというよりも、やや悪い方向に進化しているとも考えられる。

ヒトにおいて、唯一進化に関する淘汰となりうるのが、顔立ちの良さである。
つまり、美形なヒトほど結婚できる可能性が高く、子孫を残しやすいということである。
その結果、ヒトの顔立ちは良い方向(何が良いのかも怪しいが)に向かうことになる。
結局、現在の人間社会では、ヒトの進化というのはこの程度のものである。

進化という面で考えるならば、ヒトの将来は明るくない。
遺伝子の変化には良いものも悪いものもあるわけで、しっかりと良いものだけを選択して、良い方向へと進化していかなければ、生物学的に存在が危うくなってしまう。
実際に現在の日本を考えてみても、アレルギー体質、不妊体質など、ヒトにとって好ましくない体質はどんどんと増加しつつある(もちろん地球環境の悪化の影響も大きいが)。
将来的には、ほとんど全てのヒトが生まれながらにして何らかの疾患を持っているということにもなりかねない。
また、ヒトが地球環境の変化についていくこともほぼ不可能で、今後、地球環境が変化していけばヒトは生きていけなくなる。
かといって、遺伝的障害を持ったヒトを切り捨てていくなどというのはもちろん論外である。
ヒトは、強いもののみが生き残るという生物本来のシステムをやめることで、誰でも安心して生活ができるようになったが、その結果、生物に必須な進化も捨ててしまった。

現在では、受精卵の段階や胎児の段階で遺伝子を調べて、悪い遺伝子があるかどうかを調べて選択をかけることも(生物学的には)できるが、反対意見も多く、ほとんど実践にはいたっていない。
医学・生物学の発達によって、悪い遺伝子そのものを取り除いたり取り替えたりということが可能にはなる日も来るかもしれないが、それはヒトのアイデンティティーを危うくするもので、やはり倫理的側面から反対意見が出る可能性は高い。
平等と進化を両立させる方法があれば良いのだが、原理的にそれは難しそうである。
このまま、解決策のないまま人は滅びの道を歩んでいくのであろうか?
あるいは、どこかで平等原理を切り捨てて、生き残ることを選ぶのだろうか?
我々が生きている短い間には、それほど大きな問題になることはないだろうが、長い目(数百〜数千年単位)で見るならば、進化の問題は人類にとって、まさに生きるか死ぬかの大問題と言えるだろう。