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ゲーム界の未来

コンピューターゲームが登場して数十年、ゲーム界は大きく変化してきた。
特にゲーム業界に限った話でもないが、産業として将来が危ぶまれるような声も聞かれる。
そんなゲーム界に関して、一プレイヤーでしかない筆者が、様々な角度から(コンピューターの)ゲームの現状と将来について考察してみたい。
制作者であれプレイヤーであれ、この考察の中に何か少しでも得るものを見つけて将来に繋げてもらえれば幸いである。
一応、コンピューターゲームを中心に考察することとし、以下の多くの文脈において「ゲーム」=「コンピューターゲーム」と考えてもらいたい。



ゲームの本質

ゲームの本質はルールに基づく課題の解決である。
これは即ち、広義的には、人が主体的に動いてやることは全てゲームと呼ぶことができる。
コンピューターゲームやクラシックゲーム(オセロ・将棋等)はもちろんゲームだが、スポーツも当然ゲームだし、勉強や仕事もゲームとみなすことができる。
そしてゲームの楽しさとは、困難を乗り越えることによる喜びである。
この本質を外したゲームは、基本的にゲームとしては面白くないし、そもそもゲームと呼ぶことは難しい。
ただし、プレイヤー側にもこの本質を求めていないグループがいるため、ゲームの本質を外したゲーム(?)が一概に悪いとは言い切れない。


ゲームの社会的地位

コンピューターゲームの社会的地位は改善されてきている気もするが、社会全体に行き渡るには程遠い。
子供の間では普通に広がっているが、特に大人の間ではいまいち軽くみなされやすい。
コンピューターゲームは悪と考えるグループも少なからずいる。
ゲームの本質を理解していれば、コンピューターゲームだけをターゲットとした批判は明らかにおかしいのだが、残念ながら社会にはそこまで理解が広がっていない。
こういった状況が、ゲーム文化の広がりの一つの大きな足枷となっているのは間違いないだろう。
制作者やプレイヤーが積極的に周囲に対して働きかけることが状況改善のための基礎となるが、それとは別に、コンピューターゲームを子供の頃に遊んだ層がこれから成長することによっても状況が変化する可能性はある。


ゲームのメリット

コンピューターゲームの一番大きなメリットは、努力と工夫の姿勢が養われることである。
この姿勢は、ゲームに限らず、人が生きていく上で大きな力となる。
時々、「ゲームのような与えられた遊びばかりでは工夫しなくなる」といった批判も見られるが、ゲームは他の多くの趣味より工夫の余地は大きく、大抵のケースに置いてこれは間違いである。

他人との交流のツールとして使えるのもゲームの大きな長所である。
しかし、ゲームを交流のツールとして使えているのは主に子供であって、まだ全世代に広がっているとは言えない状況である。
今後大幅な改善が望まれる部分であり、うまく改善できれば、市場を大きく広げられる。

その他、気軽&安価に目新しい体験をできるというのも、マイナーながらゲームの強みと言えるだろう。


ゲームのデメリット

デメリットとしては、まず体を動かさない点が挙げられるだろう。
軽く体を動かすゲームもないわけではないが、基本的にコンピューターの仮想体験は、スポーツや旅行などの実体験には及ばない部分が多い。
そこは他の趣味とうまく組み合わせていく必要があるだろう。

遊ぶのに時間がかかることもデメリットになる場合がある。
時間を取られて本業に支障が出るからやらない、やらせないという意見もある。
これは非常に難しい問題で、ゲーム設計で対応するのも難しく、現状ではプレイヤー(または保護者)が自ら時間管理をするしかない。

もう一つ大きな問題として、独りよがりな思想を生む場合があるという点がある。
いわゆる、リセット(ロード、切断)問題であり、都合が悪くなるとリセットして自分の過ちや負けをなかったことにすることである。
この問題は、ゲーム設計次第でどうにかなる場合が多いので、こういったやり方が許されないようにゲームを作るべきだと考えている。

その他、目が悪くなるというデメリットもあるが、今時ゲームに限った話ではないし、大きな問題ではないだろう。


ゲームの大分類

1プレイ毎にお金を払ってもらうアーケードは古いタイプのコンピューターゲームであるが、今でも健在である。
高級なハードによって実体験に近いゲームを作れたり、景品として実体のあるものを用意できるのが強みである。
さらに、ハードだけでなくゲームの場も提供しているため、誰かの家を借りることなく友人等と一緒にゲームできる。
ハードソフト一体型のため開発にコストがかかり、バリエーションには欠けるが、強い独自性があるため、今後も一つの流れとして残っていくだろう。

ハードソフト一体型の家庭用ゲーム(ゲームウォッチやたまごっちなど)は、コスト面でのデメリットが大きいため非常にマイナーである。
しかし、ロボットか何かのようにハードを生かせる形にすれば(ゲームと呼ぶかは不明だが)、流行が起きる可能性もゼロではない。

個人が所有するタイプでは、やはりハード・ソフト分離型が主流である。
様々なハードやソフトが存在し、幅広いゲームを提供している。
一般にゲームと言うと、このタイプを指すことが多い。


ゲームハード

(ソフトと分離されたタイプの)ゲームハードとしては、据え置きゲーム機・携帯ゲーム機、パソコン・携帯電話がある。

据え置きゲーム機は、スペックや操作性の面でかなり快適にゲームを遊べることが多い。
さらに、皆が同じ画面を見て一緒に遊ぶというスタイルは、据え置き機が最も得意とするところであり、他のハードでは代替しにくい。
また、画面サイズでも他のハードより優位を取りやすい。
ただし、テレビを占有することが多いため、家庭ではテレビの取り合いといった問題が起きる場合もある。

携帯ゲーム機もゲーム専用機なので、据え置き機ほどでないにしても快適にゲームをできる。
一人で占有できる点や画面をプレイヤー毎に表示させられるメリットゆえに、据え置き機に代わって主流となっていった。
ただ、そのメリットがやや弱く、将来的には据え置き機と一体化したり、パソコンや携帯電話に取って代わられたりする可能性もある。
特に携帯電話ゲームが伸びてきた現状では、据え置き機以下携帯電話以上の中途半端な位置づけとなっている。

パソコンは専用機ほどには快適にゲームできないことが多いが、ゲーム用にわざわざハードを買う必要がない。
大抵の人にとって、ゲーム専用ハードを買うことは一つの大きなハードルになるため、これは大きな強みになる。
さらに、パソコンではかなり幅広いゲームをプレイ可能で、特にフリーゲームやオンラインゲームでは一番進んでいる。
ただ、ゲーム専用機でもオンライン化が進んできたため、フリーゲームはともかくオンラインゲームでの優位性が今後も続くかは分からない。
パソコンでは、スペックや周辺機器次第でゲーム専用機並に快適にプレイすることも可能だが、その環境を整えるのはそれほど容易ではない。
そのようなパソコン独自の敷居の高さに加え、普通のパソコン自体が家庭から廃れる雰囲気もあるので、それほど将来性は高くないかもしれない。

携帯電話は操作性が悪く、純粋にゲームハードとして見るならば最悪であるが、その飛びぬけた普及率が最大の強みである。
パソコンの場合と同様に、専用のハードを用意することなくゲームを楽しめる。
一方、制作者側にとっては、買ってくれる人の割合が低くても分母が大きいために十分な収益を上げられるというメリットがある。
操作の単純なシンプルゲームしかできないが、最も手軽にゲームできるため、高いゲーム性を望んでいないプレイヤーを中心にさらに勢いを増していくと思われる。
ただし、中心となるのがさほどゲームをプレイしない層である上に、オリジナリティーの高いゲームを作りにくいため、何かのきっかけで簡単に飽きられて人が離れていくという不安要素はある。


ゲームのボリューム

ゲームのボリュームは、記録容量の拡大と共に増していった。
初期のゲームはセーブできないものも多く、コツさえつかめば数十分から数時間でクリアしきれる程度の内容であった。
一方で、現在の平均的な(ゲーム機の)ゲームを一通りプレイしきるには50時間ほどかかる。
大ボリューム化は一つのソフトで十分に遊べて良いと見ることもできるが、プレイのための敷居を上げているとも取れる。
特に、長期間に渡った連続プレイを前提とするRPGは、根強いファンもいるが、時間を確保しにくい人には避けられやすい。
また、あまりに大ボリューム化すると、途中で投げ出すプレイヤーが増えたり、ゲームソフト購入の回転率が悪くなって収益が上がりにくくなったりといったデメリットも生じやすい。
ゲームの記録容量が十分にある今となっては、これから目指すべきはさらなるボリュームアップではなく、短時間でも十分楽しめるだけのゲーム密度の上昇だろう。
長く深く遊べる一方で、短時間の区切りでも楽しめるようにすることが重要になってくるはずである。
携帯電話のシンプルゲームが成功しているのも、この辺りが効いてきているのだと思われる。


ゲームの難易度

ゲームボリュームと対応して変化したのがゲームの難易度である。
昔のゲームは、いわゆるクリアさせないことで長く遊んでもらうタイプが主流であった。
クリアのためにはかなりの努力や工夫が必要で、実力的にクリアまで辿り着けないプレイヤーも多かったが、非常にゲームらしいと言える。
その後、ゲームのボリュームアップと共に、難易度は下げられた。
以前の難易度を維持していたのでは、クリアまでの敷居と時間が膨大になってしまうため、ある意味当然の流れである。
それ自体は仕方ないことだが、その流れによってゲームにおける努力と工夫という部分が薄くなり、作業的なゲームが増えたのも確かである。
プレイヤーが多様化した現在では、難易度の問題は非常に難しく、様々なプレイヤーに楽しんでもらうための一つの解決策として難易度選択式が生み出された。
また、主にRPGで採用されているレベル制も、本来のゲーム性を損なっている面はあるものの、プレイヤーの腕前に関係なくクリアできる余地を作っているという意味で初心者救済措置とみなすことができる。
何にしても、難しすぎて限られたプレイヤーしかクリアできないゲームや、易しすぎて作業でしかないゲームでは成功するのは難しいだろう。
難易度選択式やレベル制に限らず、ゲーム全体を通して易しい課題から難しい課題まで揃えたり、難しくても気軽に再チャレンジできるようにしたり、易しくても作業にならないようにしたり、といった工夫が大事である。


ゲームの複雑さ

ゲームの進化はゲームの複雑化ももたらした。
初期のゲームは、様々な制約のためにゲームシステムも操作も単純なものが多かった。
しかし、ゲーム機の性能が上がったことにより、ゲームはより複雑な方向へ進んで行った。
様々なゲームシステムが組み込まれ、操作にも多くのボタンを必要とするようになった。
この複雑化の流れは、ゲームをよりオリジナリティーの高いものに変えたが、その反面でそれについていけないプレイヤーも生み出し、ゲーム離れの原因になった。
初期のゲームが多くの人にプレイされたのは、その分かりやすさによる部分も大きく、ゲームのシンプルさは非常に重要なポイントである。
単に複雑なだけのゲームは既に時代遅れになりつつあり、現在は直感的で分かりやすいながらも奥深いことが特に求められるようになってきている。


ゲームの質と多様性

ゲーム開発環境・技術が向上によって、簡単なゲームは一般人でも開発することできるようになり、それらはしばしば無料や安価でプレイできるようになった。
そのため、ファミコン程度の質のゲームに関しては、(主にPCや携帯電話において)非常に多種多様となった。
しかし、その手のゲームは既に飽和状態で似たようなものも多くなってきており、将来の伸びしろはあまり大きくないと思われる。
一方で、企業開発の製品ゲームにはより高い質を求められるようになった。
質の向上はプレイヤーにとっては間違いなく良いことだが、企業側にはそれが開発期間の長期化や開発コストの高騰となって重くのしかかるようになった。
結果的に作ることのできるソフトにも制限が生じ、いわゆる知名度の高いゲームに偏ったゲームジャンル構造になってしまった。
ゲームの将来を考えるならば、質も多様性も両方重要で、偏りすぎてはいけない。
目先の利益に捉われすぎず、大作、派生作、新作、シンプルゲームといったように、幅広く組み合わせていく必要があるだろう。
また、現在の非ゲームプレイヤーを取り込むために、教育ソフトや実用ソフトもあると、ゲームはさらに社会に馴染んで行くはずである。


シングルプレイ・マルチプレイ

ゲームには昔から一人用のものと多人数用(協力・対戦)のものがあるが、最近はオンラインの普及も手伝って、どんなゲームに対しても何らかのマルチプレイ要素や交流要素を含めるのが普通になってきている。
一人用のゲームには他人の都合を気にすることなくプレイできるメリットがあり、そちらを好む人もいるが、基本的にコンピューターと遊ぶこと自体はさほど面白くない。
そのため、シングルプレイのゲームは、ゲーム内で常に何らかの目新しさを提供しなくては成功できないし、それも一つのゲームでは必ずどこかに限界が存在する。
一方で、マルチプレイ型は人と共に遊ぶため、気を使うような場面もなくはないが、毎回違った展開が生まれ、プレイそのものに楽しさがある。
潜在的に、人は趣味の合う他人との交流を望んでいる部分もあるため、マルチプレイゲームはシングルプレイゲームより盛り上がりやすい。
また、シングルプレイのゲームにおいても本当に他人との関わりを絶つことを望んでいるプレイヤーは少ない。
したがって今後は、人同士の繋がりによってゲームの楽しさを倍増させたりプレイヤーを広げたりすることが今以上に重要になると思われる。
オンラインでのマルチプレイにおいてはまだ不自由さも多いが、今後に期待したいところである。


ゲームの演出

ゲームの演出には、グラフィック・音楽・ストーリーがある。
この中で、グラフィックにおいては特に大きな進化を遂げた。
派手なグラフィック演出に限らず、現実さながらの3D仮想空間を作り出せるようになった。
こうした技術の進歩はもちろん素晴らしいことだが、そのことがゲームをゲームらしくないものにしてしまったという一面もある。
例えば、3D空間がリアルすぎて自由に動くと酔ってしまうとか、人がリアルすぎてゲーム内容が残酷に映るとかである。
十分にグラフィック技術が向上したからこそ、常に最高の仮想現実を目指すのではなく、対象となるプレイヤーに合わせてグラフィック表現を適切に選択していくことが重要になるだろう。

音楽やストーリーに関しては、ゲームと関係なく既に完成されているため、音質の向上やストーリーの長編化以外に目立った変化はない。
リズムゲームやサウンドノベルのように、音楽やストーリーそのものをゲームにしているものもなくはないが、まだそれが一般ゲームに広がるには至っていない。

現在のところ、ほとんどのゲームにおいて演出はあくまで演出であって、ゲームシステムと直接の関係性を持っていない。
それどころか、特にストーリーに関しては、ゲーム部分との兼ね合いで内容が限定されたり、逆にゲームの自由度を損ねたりと、非常にゲームと相性が悪い。
しかし、プレイヤーの中にはゲームのシステムではなく演出に期待しているグループも存在するため、今後のゲームの一つの方向性として、演出重視のものが確立されていく可能性ある。

また、今のゲームでは視覚と聴覚しか演出に利用していない(振動機能で一部触覚はあるが)。
恐らく遠い将来のことになると思うが、味覚・嗅覚・触覚に対しても十分な演出を行えるようになれば、ゲームは今とは全く違ったものへと変化するだろう。


ゲームスピード

ゲームスピードに関しては様々なものがあり、一番遅いのが将棋などのクラシックゲームで採用されているターン制や時間無制限制である。
そしてコンピューターゲームの出現と進化によって、アクション性の高いリアルタイムのゲームが多く生まれた。
ゲームスピードが遅いゲームは、じっくり考えられるため高度な読みや戦略を生み出せるメリットがある。
初心者が一切行動できずに負けるようなことも少ないため、ゲームの敷居も低い。
ただ、ジャンルによっては現実感のないゲーム内容となってしまうことがある。
一方で、リアルタイム進行のゲームは、慣れを必要とするが、限られた時間の中で判断して行動するという非常に現実感のあるものとなり、高い爽快感を得られる。
人によってスピード感のあるゲームを好むかじっくり考えるゲームを好むかは異なるため、どちらが良いとも言い切れないが、ゲームスピードがゲームの方向性を決める重要な要素であるのは間違いない。
クラシックなターン制は既に時代遅れ感もあるが、根強いファンがいるのも確かである。
ゲーム製作者は、対象とするプレイヤーの好みを見極めてゲームスピードを設定する必要があるだろう。
また、プレイヤー側も好みのゲームスピードを知っておくと、自分に合ったゲームを選択しやすい。


CPUのAI

主にCPUの思考を必要とするゲームで重要になるのがAIだが、これに関しては未完成な部分が多い。
現在のAIは異常に頭が良いか、異常に馬鹿かに二分される。
本気のAIは、人ではほとんど為しえないようなことを当然のようにやってくるため、一般プレイヤーはまずついていけなくなる。
そのため、大抵のゲームではAIは非常に簡略化されており、いつもワンパターンな行動をするかいつもランダムに行動するかである。
結局のところ、それがコンピューターと遊ぶのがつまらない原因でもある。
コンピューターが人間らしい感情を持った行動をするのは現状ではほぼ不可能で、その分野はまだ研究段階となっている。
もしこれが解決されれば、ゲームの世界が大きく進化する要因となり得る。


ゲームソフトの販売形式

ゲームの実体であるソフトの販売形式は、もともとはパッケージ売りしかなかった。
ディスク等作製のコストや買いに行く手間やゲーム内容の伝わりにくさなど、デメリットがかなり多い。
したがって、ネットが普及した今後は次第に影が薄くなっていくと思われる。
ただ、貸し借り売り買いできるとか説明書を見ながらゲームしやすいといったメリットもあるので、すぐになくなるようなことはないだろう。

ネットワークを生かした販売形式としてダウンロード販売がある。
特にネットワーク周りが強いパソコンでは、一足先に導入された。
実体を持たないため、売る側としては在庫が生じるリスクがないという大きなメリットがある。
パッケージ売りと同様の売り切りにもできるが、シェアウェアのように一定期間の体験プレイを可能にするといった方法を取ることもできる。
まだあまり広がっていないが、パッケージ売りのデメリットを補うことができ、今後一つの主流になっていくと思われる。

ソフトそのものを売るのではなく、アカウント課金・月額課金・アイテム課金・コンテンツ課金といったゲーム内での価値やサービスをオンラインで売る形式も広がり始めている。
MMOを中心に始まった形式であるが、一般ゲームソフトにおいてもメインソフト販売をサポートする形で取り入れられ始めた。
ソフトの販売ではないため、いわゆる海賊版が出てきにくいというメリットがある。
また、初期プレイが無料または安価なことが多く、内容を確認してから本格的にプレイするかどうかを決められるのも良い。
課金システムの設計次第でどのようにでもできるが、設計が悪いと収益が伸びなかったり暴利状態で人が寄り付かなくなったりする。
課金バランスの良し悪しを見抜くのに慣れていない人(子供など)が必要以上に企業収益のターゲットとされることがあるといった問題もあり、今後主流になるには、その問題を公正にクリアできるかどうかにかかっている。


ゲームの宣伝

現在、ゲームが売れるかどうかはほとんど知名度で決まる。
知名度の低いゲームは、それがどんなに完成度の高いものであっても売れないことが多い。
少しでも知名度を上げるために宣伝が必要になるわけだが、これが非常に難しい問題となっている。

一つは、昔からあるTVCMで、さほどゲームをプレイしない人を取り込むのに有効な手段である。
ゲーム内容と関連性高い番組のスポンサーとなってCMを流す方法で、パーティーゲームやアニメキャラゲームや洋画風ゲームなどと相性が良いと思われる。
基本的にTV番組内容と関連性の低い内容のゲームは、CMで宣伝しても大抵はスルーされてしまう。
しかし、「ピクミン」のCMのように歌などをきっかけとして広がることもあるため、そういった一般受けしやすい方法で訴えるのも手である。

制作企業ホームページは、主にゲーマーを取り込むのに有効である。
ゲームを良くプレイする人はTVはあまり見ないことが多いが、積極的に新作情報を調べる。
ゲームの売りの部分がしっかり伝わるように表現すれば、元々ゲームに興味がある層なので、十分に有効となる。

ウェブ広告は手軽なものとして最近広がってきたが、扱いが難しい。
ゲーマーは初めから企業ホームページを見るし、一般人はスルーするだろう。
伝えられる情報も少なく、恐らくこれ単体では効果が薄い。
他の宣伝のサポートとして、親しみのあるキャラクターなどを載せておくと良いのかもしれない。

ツイッターやフェイスブックやブログといったソーシャルシステムは、大きな潜在力を秘めている可能性がある。
ユーザーが多い上に、拡散性が高いのとプレイヤーの生の声が伝わるのとで、一般人にもゲーマーにも効果は高い。
企業側としてできることは少ないだろうが、比較的手軽でもあるので、一つの宣伝方法として入れておいて絶対に損はないだろう。

各種レビューサイトは、企業側が積極的に使うことはモラル上できないだろうが、発売後の伸びや続編の売り上げに影響することがある。
これもある程度のゲームをプレイする人にしか効果はないが、本当に完成度の高いゲームはこのような場を通して遅れて売り上げを伸ばすこともできる。
つまり、当然のことながら宣伝だけでなく肝心のゲーム内容も重要ということである。

ゲームの販売形式とも関わるが、ゲームの体験版を自由にプレイ可能な状態にするというのも大きな宣伝になる。
無料であれば、多少なりともゲームに興味がある人は手に取ってくれる可能性がある。
ただ、体験プレイの範囲で十分に面白さが伝わることと、本編をプレイしたいと思ってもらうことの両方が重要になる。
中途半端な体験版では、体験版だけで終わりにされてしまうだろう。


プレイヤーの種類

ゲームの歴史が長くなるにつれ、プレイヤーも様々なタイプに分かれていった。
それぞれのグループには、かなりゲームの嗜好に偏りが存在する。

まず、最もゲーム対して積極的に取り組む上位グループが存在する。
いわゆるやり込み型のグループで、相当高難易度のゲームでも途中で投げ出すことなくついていける。
さらに、弱いCPUと戦うことをあまり好まず、高難易度の課題に挑戦したり、ネット対戦で上を目指したりする。
自らの上達のためには努力を惜しまない最もゲーマーと呼ぶにふさわしいグループである。
大抵どんなゲームもこなすだろうが、スコアランクのある高難易度のアクションゲーム(スクロールシューティング等)や競技性の高い対戦ゲームなどを好むことが多い。
このグループは徹底的にゲームをやるので、必然的にプレイするゲーム数は少なくなり、現状ではゲームの売り上げ的には影響が小さい。
ただゲームに対して積極的なのは間違いないため、高難易度の追加クエストやゲームシステムをダウンロード販売したり、全国大会などのサービスに対して軽く課金したりすることで、企業側としても収益に繋げられる可能性がある。
そのための基盤を作るためにも、質の高いネットワークサービスや抜け目ないゲームシステムを構築し、プレイヤーが分散しないようそこにがっちりと囲い込んでおくことが、プレイヤー側にとっても企業側にとっても利益に繋がる。

それよりも一段階下に位置するのがゲーム愛好家的な中位グループである。
ゲームを好んでプレイするが、大抵は普通にクリアするにとどまる。
クリアまでプレイせずに、ゲームソフトをコレクションのように集める人もいる。
高難易度のゲームにはあまりついてこられず、ネット対戦では完敗させられてやる気をなくす場合が多い。
CPU相手に一人でゲームをするのが好みであることが多く、一人用のアクションゲームやRPGなどを好みやすい。
このグループは、次々と新しいゲームをプレイするスタイルであることも多く、現在のゲーム界を中心となって支えている。
特にオンライン要素ややり込み要素は必要ないので、普通のクリア式ゲームを質を落とさずに作り続けていけば自然とプレイしてくれる。
逆に、変にオンライン化したり特異なシステムにしたりするとゲームから離れていく可能性がある。

恒常的にはゲームをプレイしないのが下位グループである。
ゲーム自体をオマケと考えてストーリーやキャラの演出を楽しんだり、友達同士で軽く遊んだりする。
当然ながら高難易度のゲームはやらないし、本気の対戦も好まない。
動画サイトでプレイ動画を見ればそれで満足という人もいる。
生活シミュレーションやRPGやパーティーゲームといった演出重視のものや交流性の高いものを好んでプレイすることが多い。
携帯電話のシンプルゲームや知名度の高いゲームの売り上げを支えているのもこのグループだろう。
ゲームシステム自体にはあまり興味がないことも多いのでゲーマーとは呼び難い気もするが、一応ライトゲーマーと呼ばれる分類で、プレイヤー層は非常に厚い。
積極的にはゲームをしないため、ゲームをプレイしてもらうためには適切な宣伝と敷居の低いゲームシステムが特に重要になる。
演出を好むため、追加ストーリーや追加グラフィックの販売も向いている。
交流を好む人のためにオンライン要素も有効だが、あくまで初心者だけが集まる交流メインの場を作ることが大事である。
現状のオンラインプレイは上位グループが中心となっていてレベルが高すぎるため、このグループの人は楽しめないことが多い。
上手く流行が発生すれば、プレイヤー層の厚さゆえにゲーム業界を支える大きな力となる。

当然ながら非プレイヤーのグループもある。
仕事や別の趣味に忙しい人やゲームを敵視している人などである。
基本的にゲームとの接点はないが、実用ソフトや教育ソフトなどを通せば繋がる場合もある。
人を楽しませることを得意とするゲームは、こういった分野でも大きく伸びる可能性を持っている。
非プレイヤーグループは下位グループ以上に大きいので、ゲームをプレイしない人が何に興味を持っているのかを研究し、何らかの形で取り込むようにしたい。
このグループまで取り込めれば、ゲームはテレビやオーディオやカメラなどと並ぶ家電としての地位を確立できる。


ゲーム界の未来へ向けて

これまでにゲームの様々な側面についてまとめてきた。
それらを幅広く認識しつつ、古い形式に捉われることなく、ゲームをプレイしていく、あるいはゲーム開発していくことがゲームの発展につながると考えている。
ゲームが幅広く社会に浸透し、そこからゲームに暇つぶし以上の価値を見いだせる人が一人でも多く生まれてくることに期待したい。