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下等生物は下等か?

下等生物という言葉を聞いたことがあるだろうか?
一般には、単細胞生物を指すことが多いようである。
場合によっては、多細胞生物に対して使われることもあるかもしれない。
下等だ下等だと言っているわけだが、それらの生物は本当に下等なのだろうか?
また、逆にヒトをはじめとする哺乳類などは本当に高等なのだろうか?

高等とか下等とかを考察するには、まずどういう点に対してそういった判断を下すかということが重要になってくる。
ここでは、まずいくつかの項目を挙げて、それぞれについて考えていこう。

 

個体の生命力

個体の生命力は、生物の優劣をつけるための重要な判断基準である。
やはり、しぶとく生き残れる生物ほど優れているといえるだろう。

まず、高等だと言われている哺乳類や鳥類を思い浮かべてみよう。
生命力が高いと思うだろうか?
筆者は、意外にも生命力が低いのではないかと考える。
水分、大気、気温などの条件が全て適切でなければ、これらの「高等」生物はいとも簡単に死んでしまう。
つまり、環境の変化に非常に弱いというわけだ。
さらに、一部の細胞や構造の死がそのまま個体の死に結びつくことも多い。

他の生き物でもそれは同じだと思うかもしれないが、そうでもない。
過酷な環境に置かれた時に、仮死状態になって生存しつづけるという生物は多く存在する。
そしてそういった生物のほとんどは、下等だと言われているグループに属している。
仮死状態の生物は、真空、低温、乾燥など、非常に過酷な環境でも生存できる。
また、仮死状態などにならなくても、普通に異常な環境で生存できる生物は存在する。
例えば、100℃を越えるような環境でも生存できる生物がいるというのはかなり有名な話だ。
また、火星に連れていったとしても普通に生存できると予想される生物はたくさんいるが、その多くは単細胞生物や植物である。
もし、哺乳類が火星に行ったとしたら、間違いなく即死だ。

結局、高等と言われる生物は、あまりに複雑過ぎるが故に修正が難しいということなのかもしれない。
かつて、最も高度に進化したと言われる恐竜が滅んだのも、その進化のせいで環境への適応能力が減衰していったためなのではないだろうか。

これらの事実を考えると、「高等な」生物が「下等な」生物よりも生命力があるとは言えないと思われる。
もちろん、「高等な」生物は、「下等な」生物を殺したり利用したりするシステムを持っているので、「高等な」生物も弱いとばかりも言えない。
しかし、環境のような絶対的なものも含めて総合的に見れば、やはり「高等な」生物の方が打たれ弱いと考えられる。

 

種の生存力

たとえ個体の生命力がなくても、種が生き残ることが出来るなら、その種は生物として十分な能力を持っているといえる。
これに関しては、はっきりしたところは良く分からない。
というのも、種が絶滅したというのは、ほとんど「高等な」生物に対して言われるからだ。
ナントカ菌が絶滅したなどという話はあまり聞かない。
しかし、単細胞生物のような小さい生物もどこかで絶滅している可能性は十分にある。

種の生存力に絡んでくる要因として、種の増殖速度が挙げられる。
これは言うまでもなく、「下等な」生物の方が上だ。
「下等な」生物は、無性生殖を行うことができる上に、世代交代も速いので、増殖は非常に速い。
数時間で2倍にも4倍にも増殖できる「下等な」生物もいる。
ただ、世代交代が速いということは、個体の寿命が短いということでもあるし、ただ増えれば良いというものでもないだろうから、これだけを考えれば種の生存力が分かる、というものでもない。

結局「下等な」生物と「高等な」生物のどちらが生存力が高いかはっきりしないが、少なくとも高等生物の方が圧倒的に種の生存力に優れているということはなさそうである。
もし、「高等な」生物の方が種として強い生存力を持っていたと仮定するなら、「下等な」生物のほとんどは既に滅んでいてもおかしくないはずである。
しかし、現存する単細胞生物の数は計り知れないほどに多い。
ということは、それらの下等な生物も種としての生存力が十分にあったということになるだろう。

 

進化速度

速いスピードでどんどんと進化していける生物が、他の生物よりも有利であることは間違いない。
環境が変わろうが、天敵が現れようが、どんどんと進化して生き残っていける。

進化の実体は、DNAの変化とその固定にある。
この現象が起こる機構はいくつか種類があるようだが、一番影響力の大きいのは、やはり有性生殖と自然淘汰(自然による弱者の排除)だ。
知っての通り、「高等な」生物は、ほとんど有性生殖のみを行う。
一方、「下等な」生物は、無性生殖を基本とし、限られた条件下で有性生殖を行うということが多い。
このことを考えた時、進化速度は、「高等な」生物の方が進化が速いと思うだろうか?
実際は、必ずしもそうではない。
新しい抗生物質を開発しても、どんどんとそれに耐性を持つ病原菌が現れてくるというのは、「下等な」生物も進化していることを示す一番分かりやすい例である。

「下等な」生物が有性生殖を行うのは、主に環境条件などが生存に適さなくなってきたときだ。
逆に言うなら、環境条件が厳しくなると、「下等な」生物も積極的に有性生殖を行うようになる。
そして、その過酷な環境による淘汰によって、その変化が固定される。
「下等な」生物は世代交代が「高等な」生物と比べると、圧倒的に速いので、当然有性生殖を数多くこなせることになり、一気に進化する。
一方、「高等な」生物は世代交代が遅いため、環境条件が厳しくなってから有性生殖を始めたのでは、進化が環境の変化についていけない。
それゆえに、「高等な」生物は、常に有性生殖をせざるを得ないとも考えられる。
つまり、必要な時だけ高速に進化するという意味では、「下等な」生物の方が圧倒的に優れているのである。

 

行動と思考の複雑さ

複雑なことができて、様々なことを達成できるならば、それは高等と呼ぶに値すると考えられる。
その能力を武器に、厳しい状況も乗り越えていける可能性が高い。

これに関しては、一部の「高等」と言われている動物が優れているといえるだろう。
具体的には、哺乳類や鳥類、爬虫類、一部の昆虫などが挙げられる。
植物や他の動物、単細胞生物に関しては、何か特別なことを達成できるわけではないので、その差はあまりないような気がする。
ただ、行動や思考の複雑さの基準というものが曖昧なので、結局はなんとも言えない。
どの生物も、ただ生きているだけというように見えなくもない。

そんな中で、ヒトだけは明らかにこの能力が高い。
ヒトも生きているだけと言ってしまえばそうなのかもしれないが、やはりどんどんと必要なものを開発していくというのは、複雑な行動と思考が可能なためであると考えるのが自然だろう。

単に、行動や思考が複雑なだけではないところに、ヒトの特殊性がある。
何と言っても、ヒトの最大の特徴は、時間と空間を越えた知識の共有にあるだろう。
次世代や他の地域の個体のことまで考えて、知識を残し、伝えていく生物は、ヒトだけである。
これによって、ヒトはどんどんと知識を積み重ね、複雑なことまでできるようになった。
実際に、ヒトの文化が急速に発展したのは、この数百年の間である。
チンパンジーなども色々考えているかもしれないが、知識が広く共有されたり積み重ねられたりすることはないので、その思考には限度がある。

ということで生物全体で見るならば、行動と思考の面では、特に優れているのがヒトで、一部の「高等な」生物が僅かに優れているということになるだろう。
他の生物に対しては、行動と思考に関して優劣をつけるのは難しいように思われる。

 
 

このようにしっかりと考えると、「下等な」生物は下等でなく、「高等な」生物は高等ではないこと明らかになってくる。
そもそも、生物に対して高等や下等ということを考えること自体がおかしいのである。
生物に対して、一般に言われているような高等・下等の区分けができてしまった要因は、次の二つであるあると思われる。

まず一つの要因は、ヒトの勝手な思い込みである。
ヒトは当然、自分のことを高等だと思いたいということである。
そして、うまくつじつまを合わせるために、ヒトに近い生物を高等とし、ヒトから遠い生物を下等としてしまったというわけだ。
確かに、ヒトは生物の中でもかなり特殊性があるので、高等としてもまあ良いかもしれない(それでも問題はあると思うが)。
しかし、一般的に、(現存する)生物は、どの生物もそれぞれどこかに優れた点を持っているもので、その意味では、高等や下等の区別はつけられない。

そして、もう一つの要因は、生物の進化の過程の間違った解釈である。
生物は、単細胞生物を起源とし、それが進化して、多細胞生物になった。
そして、さらに進化して、どんどんと構造が複雑になっていった。
確かに、この仮説はほぼ間違いないだろう。
ただ、このことは、単細胞生物が進化していないということを言うものではない。
単細胞生物をあたかも昔から全く進化していない生物のように扱うことに間違いがあるのである。
現存する単細胞生物は、単細胞という性質を残したまま進化した、いわばエリートの単細胞生物である。
だからこそ、すさまじい生命力、増殖力、高速進化能力を持ち、滅びることなく、現在我々のような多細胞の生物と共にこの地球上に存在している。
もちろん、単細胞生物に限らず、他の原始的と言われている多細胞生物についてもこれは同じである。
結局、どの生物も十分に進化した結果、この地球上に存在しているのであり、現存するどの生物も高等であるとするのが最も正しいということになる。

高等・下等という生物の区分けは、このようなヒトの思い込みや誤解によって生まれたものであり、本当に生物そのものの高等・下等を示すものではない(他に代用できる言葉が乏しいため使わざるを得ないこともあるが)。
もし、下等だと言われている生物を見る機会があったら、その生物をもう一度良く見直してみよう。
きっとどこかに、(生物的に)優れた点を持っているはずだ。
こうしたことを忘れ、単細胞生物などを下等だ下等だなどと言っていると、いつかその「下等な」生物から反撃を受けるだろう。
(まあ、生物の高等・下等を良く理解していても反撃されるだろうけど・・・。)